著書「ロゴデザインの現場 事例で学ぶデザイン技法としてのブランディング」(佐藤浩二さん、田中雄一郎さんとの共著)の発売が5/31に予定されています。

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書籍をPRするにあたり、せっかくの機会ですので、そもそも建築を勉強していた自分がなぜブランディングデザインを志すようになったのか、前職ランドーアソシエイツへの入社、そして、自分がデザイナーになるまでの流れをmixi上で記録した2005年当時の日記を2回に分けて転載したいと思います(今から11年前、mixi日記というところが当時っぽいですね。文体もところどころ生意気で大変恐縮なのですが、そのまま掲載します)

今回の書籍が、誰かにとってのきっかけになれば嬉しいです。
それではご笑覧ください。

 

– – – – – – ここから2005年の日記です – – – – – –

 

見習いデザイナー通信 その1「きっかけ_1」2005年05月10日
僕は現在都内某所、某デザイン会社に見習いデザイナー(のつもり)で勤務しています(平たく言えばフリーター)この「見習いデザイナー通信」は僕がプロ(定義:デザインで飯を食う)のデザイナーになるまでの過程を皆様にお知らせするものです。なお、現在のデザイン会社との契約は(2005年)9月末日までです。そのため、恐らく、デザイン業界の就職活動の模様などもお伝えできると思います。

まずはデザイナーを志したきっかけをお話しします。

現在、勤務しているデザイン会社とはかなり衝撃的な出会いをしました。04年の2月の事です。それは僕の人生にとって大きなターニングポイントといえます。
そのころ僕は都内の大学の建築学科に属し、建築デザインを学んでいました。来年(つまり今年)学科を卒業したら、学科のみんなと同じ様に大学院に進むのだろうと(建築学科の大学院進学率はかなり高い)ただ漠然と考えていました。大学院卒業後は恐らく建築事務所かゼネコンに就職するんだろうなぁと人ごとのように、将来を考えていました。
2月のある日、僕は友人にフットサルに呼ばれ、五反田に行く予定でした。しかし、僕はどう聞き違えたのか、なぜか高円寺に約束の時間に到着してしまいました。間違いに気がついた僕は、もう遅れるのは確実だしまぁのんびり行くかと、五反田までの乗換のどこかの駅(おそらく新宿)構内の本屋にぶらりとはいりました。そこでまっさきに目に飛び込んで来たある一冊の雑誌に僕は人生を変えられてしまったのです。

見習いデザイナー通信 その2「きっかけ_2」2005年05月11日
僕はたった一冊の薄い雑誌の、そのまた付録に将来を変えられてしまいました。そしてその力に身を任せてしまいました。しかも何の確証も保証もないのに。
その雑誌は2004年2月15日号の「ブルータス」、特集は「大人の会社見学」でした。表紙のしりあがり寿氏の漫画もなかなか良い味を出していました。2月と言えば就職活動の季節です。来年度4年生になる学生は、たとえ大学院に行こうと思ってはいても、少しは就職という事も考えます。おまけにその頃僕は大学院入学の面接に落選し、一般入試の応募締め切りまで少々の時間の余裕がありました。また、建築デザインという分野自体に3年間のさまざまな事を通して多くの疑問が湧いてきていて、このまま建築を続けるのかどうか悩んでいたところでした。正直なところこのまま続けても自分の中での盛り上がりは一向に望めないように思えました。
そういう気持ちが続いている中で、「大人の会社見学」という甘いフレーズは僕に小粋でお洒落な就職活動を想像させるには十分すぎました。よっしゃいったるで。目指せ汐留、お台場、六本木。鼻息荒く手に取って、素早くページをめくったところ、うっかり開いてしまったそのページ。まさしく「そのとき時代が動いた」のです。

見習いデザイナー通信 その3「きっかけ_3」2005年05月25日
勢いあまって開いたそのページには、まるでデパートの宝石売り場のガラスケースのような世界が広がっていました。そこには魅力的な企業のロゴマークが所狭しと陳列されていたのです。実際は紙に印刷されただけの二次元のマークが、僕にはつまみあげてみたくなるような宝石に見えました。その一つ一つは見ているだけで、そのマークが持つ世界に吸い込まれてしまいそうなものばかりでした。
その中でも特に目を引いたのは、ソールバスという人がデザインしたアメリカの通信会社AT&Tのマークでした。地球をイメージさせるそのマークは、単に通信会社であるという事だけではなく、グローバルな企業規模や、会社の強い意思までも感じさせました。それにも関わらず、全く冷たい感じはせず、温かみを持ったやさしい形をしていました。
このマークを見た瞬間に、ほとんど僕は自分の進む道を変える決意をしていました。それほど強い衝撃をこのシンボルから受けました。その日から、日本でCI(コーポレートアイデンティティ)や、企業などのブランドを創造するブランディングデザインに特化している会社を探し始めました。そして数ある会社の中から二社に白羽の矢をたて、連絡を取ってみることにしたのです。

見習いデザイナー通信 その4「就職活動」2005年05月29日
かくして白羽の矢を立てた、二社への就職活動が始まりました。
とはいえ、二社とも新卒の募集もなければ、経験者の採用情報さえもホームページには掲載されていません。
しかし、成功率は五分五分であれど、募集されていない所へアルバイトを希望して入り込んだ経験がある僕は、二社あればどちらかは引っかかるだろうと、かなり楽観的に考えていました。

アプローチの仕方は至ってシンプルなものにしました。eメールで自分の名前、所属(当時は学校)、なぜその会社に入りたいのかという事を簡単に書いて送信しました。

二、三日後に二社ともから返信がありました。
A社からは「作品集や自己アピールがあれば送付してください」との返事でした。しかし作品集なんか作った事なかったので、一時保留。
B社(ランドーアソシエイツ)の方はというと、「今、あるプロジェクトのヘルプを探している」との返事。つまりはアルバイトですが、まだ後一年は学生だし、いまからバイトとしてなんでもいいから将来につながる経験を積みたいと考えた僕は、B社の担当の方と面接をする方向で話を進めました。

面接には一応作品集らしきものを持参しました。学校の課題や、友人のバンドのフライヤー、Tシャツのデザインとかです。しかし、良い見せ方も知らなかったので、ただファイルに詰め込んだだけで、見る方はあまり魅力を感じなかったかもしれません。やはり人にものを見せるときは、それなりに考えないと伝わらないようでした。とにかくガチガチの緊張の中、自分の意思だけは伝えようと話をしました。

面接ではクリエイティブ部門のアシスタントとしての採用ではなく、マーケティング部門のヘルプ、特に秋に出る本の編集作業の担当だという事を言われました。つまり基本的にデザインはできないという事です。躊躇しましたが、それでも、もしかしたらデザイン作業に関われるかもしれない、とまた楽観的に考えた僕はとにかくこの会社に入り込む事だけを考えて、条件を飲みました。条件は週3回8時間勤務で、日給◯◯◯◯円、交通費は別途支給。デザイン会社のアルバイトならこれが相場だと思います。あまり良い条件ではありませんでしたが、ともかくお金が発生するだけラッキーでした。

面接からひと月ぐらいの保留期間を経て、アルバイトとしての採用の返事が来ました。この時点で、僕は他の就職先を探す事をやめていたので、就職戦線からはすでに置いていかれていました。何も先が見えない中、後には引けない状況を自ら作り出してしまいました。しかし兎に角、第一希望の会社に入り込む事に、まずは成功したのです。

 

(つづく)

 

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