自分が尊敬するデザイナー、ソール・バスの言葉です。最後の一文が特に好きなのですが、ソール・バスの様な巨匠でもそう思っていたのであれば、自分はもっと懸命にならなければなぁと励まされます。

曖昧さの魅力 ソール・バス

トレードマークは、何かのメタファーであることが多い。形のないものを、目に見える形にしたものといってもいい。マークをデザインする時、伝えるべき内容を見極める過程そのものが、デザイン作業の工程を決めるといえる。その途中では、予測できなかったり、理にかなった方法をとれなかったりすることもある。しかし、出発点においては問題を合理的にとらえることがいいようだ。

「曖昧さー多義性」と「メタファー」が私の仕事の中心となることが多い。婉曲表現は、それが実用性においても感性においても価値があるからだ。「見てのとおり」のデザインは確かにわかりやすいが、飽きられる。曖昧であることは、含意が深く、不可思議で、見る人の疑問や想像力をかきたて、何らかの印象を残す。ちらっと見てから、もう一度振り返らせる力がある。作品に緊張と生命力を与えるのだ。見る人にいろいろな発見があれば作品の寿命も長い。とはいえ、その曖昧さの「程度」が非常に重要だ。それも伝達する内容や相手によって、その度合いは異なる。度がすぎると、「朦朧」の域に達してしまう。逆に、あまりにも臆病だと、その作品は退屈きわまりないものとなってしまう。

いい作品に出会ったとき、経験の浅い人は、デザイン作業の最終結果だけを目にし、その作品はデザイナーの「ひらめき」で生まれたものだと思うかもしれないが、それはとんでもないことだ。デザイナーはまさに仕事と格闘しているのだ。「本当に難しい。そもそも自分はこの仕事に向いているんだろうか?」と自問しながらの闘いなのだ。だれしも懸命に作業を重ねて完成させているのだ。その点は経験豊かなベテランも新人デザイナーも変わりない。だれも石切場で汗を流す。「ベテランも新人も同じ船に乗っている」のである。ただ、その道何年のベテランには、「こうしているうちに何とか最終点が見えてくる」とそれなりの心の余裕があるだけだ。(JAGDA教科書 ヴィジュアルデザインvol.2 タイポグラフィ・シンボルマークより